こんにちは!はねうさぎ(@haneusagi_com)です。
ついに念願のボスニア・ヘルツェゴビナを訪れることができました!
かつて読んだ日本人のブログで「ヨーロッパの中で最も好きな国はボスニア・ヘルツェゴビナ」と紹介されていたその理由を、自分の目で確かめたくてうずうずしていました。
今回はドイツからRyanairを利用して、バニャルカへと直行。飛行時間はわずか1時間半で、費用は片道約20ユーロという手軽さ。
ボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアの5都市を9日間で巡る旅の情報を、いくつかの記事に分けてお届けします。
まずは旅の第一歩、スルプスカ共和国の州都であるバニャルカから。
バニャルカの見どころ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、そしてスルプスカ共和国の魅力について、詳しくご紹介していきます。
ボスニア・ヘルツェゴビナについての概要
ボスニア・ヘルツェゴビナと聞くと、真っ先に思い浮かべる言葉は「戦争」ではないでしょうか。
ボスニア・ヘルツェゴビナはバルカン半島に位置する国で、紛争後の1995年デイトン合意により成立しました。
紛争が終結してから2025年で30年が経つ、まだ新しい国家です。
隣国には、西と北にクロアチア、東にセルビア、東南にモンテネグロがあり、これらの隣国は、かつてひとつの国「ユーゴスラビア」でした。
この国は、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の二つの主要な行政区分から成り、さらにブルチコ地区という特別な地区があります。
ブルチコ行政区は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後のデイトン平和合意に基づく仲裁の過程で設立が決められ、現在は欧州連合(EU)によって平和維持活動が行われています。
めちゃくちゃ複雑な事情のある国家(((;゚Д゚))
首都はサラエボで、公用語にはボスニア語、セルビア語、クロアチア語。
ちなみに、現地の方全員が「ボスニア語、セルビア語、クロアチア語はすべて全く同じ言葉」と言っていました…
通貨は兌換マルク(だかんマルク、Konvertibilna Marka:BAM)です。
2023年の国内総生産(GDP)は約25億ドルと推定されており、経済はサービス業、製造業、農業に依存しています。国内では木材や鉱物資源も豊富ですが、政治的な分裂や経済の不安定さが課題となっています (参照:BHAS) (World Bank Open Data)。
宗教的には多様で、イスラム教、セルビア正教、キリスト教カトリックが主流で、いわゆる国内でボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人と言っているのは信仰宗教が違うだけで人種も言語も同じなのです。
なぜこんなに複雑なんだ・・・(((;゚Д゚))
地理的には多様な気候を持ち、北部は温帯湿潤気候、南部は地中海性気候と別れており、地域によって気候に変化があります。冬は冷え込み、夏は暖かい日が多いです。
国の歴史はかなり複雑で、かつてはオスマン帝国やオーストリア=ハンガリー帝国、ユーゴスラビアの一部であった経緯から、多民族国家の特性を持つことになりました。
それが引き金となり、ボスニア紛争(1992-1995年)はこの国の近代史で特に重要な出来事であり、その影響は今日に至るまで残っています。
ちなみに、第一次世界大戦がはじまるきっかけとなったのも首都のサラエボ。
ボスニア・ヘルツェゴビナを旅行する前には、必ずこの歴史を頭に入れてから行くことをお勧めします。
その方が現地の方との会話がスムーズになり、ボスニアという国への理解も深まります。
スルプスカ共和国ってどこ?
バニャルカという街について書く前に、バニャルカを州都とするスルプスカ共和国についてお伝えします。
旅する前にこういう情報ってやはり大事です。
スルプスカ共和国(Republika Srpska)は、連邦国家であるボスニア・ヘルツェゴビナをの構成体の一つで、ボスニア・ヘルツェゴビナの全面積の49%を占めています。
数字で見てみると約半分なんですね。
そして、スルプスカ共和国の州都はバニャルカ(Banja Luka)です。
バニャルカは、ボスニア・ヘルツェゴビナ北西部のヴルバス川沿いに位置し、美しい自然環境に囲まれた人口約22万人(2024年)のボスニア・ヘルツェゴビナの第二の都市であり、豊かな歴史と文化を持っています。
ボスニア・ヘルツェゴビナの主要3民族(ボスニア人、クロアチア人、セルビア人)のうち、セルビア人を主体とする共和国で、独自の大統領、政府と議会を持っています。
共和国の大統領が国家元首の役割を果たし、首相が政府の行政を担当。
議会は一院制で、エンティティ内の立法を行います。
また、独自の「国旗」もあります。(セルビア国旗に非常に似ています)
私はまず初めにドイツからサラエボ行きのフライトをリサーチしていたのですが、その際にバニャルカというボスニア・ヘルツェゴビナ第二の都市があり、さらにこのバニャルカはスルプスカ共和国の州都だと知って驚きました。
以前、セルビアのベオグラードにも旅したことがあるので、なんとなくセルビアを思い出して比較?できたのは良かったかもです。
ベオグラードの記事は以下をご参照ください。
確かに、Googleマップをズームインしてみると細かい点線でぐにゃぐにゃと国境ならぬ共和国のエリアが示されています。
スルプスカ共和国の歴史と背景
スルプスカ共和国は、1992年から1995年にかけてのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の結果として形成されました。
この紛争は、ユーゴスラビア連邦の崩壊とそれに続く民族間の対立から生じたもので、1995年のデイトン和平協定により、ボスニア・ヘルツェゴビナは二つのエンティティ(スルプスカ共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦)から成る複合国家として再編されました。
私が子供の頃、祖父からプレゼントしてもらった地球儀には、今は崩壊してしまったユーゴスラビアというとても大きな国(地球儀上大きく見えた国?)が存在していました。
記憶に新しいボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、そのユーゴスラビアの崩壊と関連して独立運動が強まり、独立賛成派と反対派で内戦状態となったことが発端となっています。
スルプスカ共和国の経済・文化・社会
スルプスカ共和国の経済は、農業、工業、サービス業が主な柱となっており、農業では、小麦、トウモロコシ、果物などの生産が盛んです。
実際に車で移動する際に、沢山のトウモロコシ畑を見ました。
また、鉱業やエネルギー産業(特に水力発電)も重要な産業となっているとのことですが、経済はまだ発展途上であり、高い失業率や低い所得水準が課題となっています。
ちなみに、ボスニア・ヘルツェゴビナには、ドイツのドラッグストア「dm」があります!価格帯はドイツとほぼ変わらずでした。
日本の肌ラボブランド製品もありました❢
全体的な物価(特に食品)がドイツの半分くらいに感じたので、dmの商品は現地の方にはかなり高価だと思います。
スルプスカ共和国は基本的にセルビア系住民が90%以上を占めていますので、セルビア正教会が主要な宗教です。
文化的にも、セルビアの影響が強く、国家としての隣国セルビアにも友好的で、街を歩いている人も全体的にセルビア系。
それでも、モスクもいたるところにあるし、たまーにスカーフを被っている女性もいるので、なんだか不思議な気分になります。
歴史的な建造物や自然景観も多く存在し、教育や医療のインフラも整備されつつありますが、バニャルカからボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボまでの電車はありませんでした(バスはある)。
国内の首都と第二の都市を結ぶインフラって整備されることが多いと思うのですが、バニャルカがまだ観光地としては発展途上であることと、おそらくセルビア系地域とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦では未だに暗黙の了解の壁があり、人や物が行き来することが少ないため、需要が無いだけなのかもしれません。
実際、観光案内所はあるものの、海外からの観光客は非常に少ないようで、アジア人も自分一人しか歩いていませんでした。
街には2件の中華レストランがあり、アジア人がいるのでは?と期待していましたが、働いているのは全員現地人のようでした。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終結してから30年が経つわけですが、社会的調和の推進にはまだ見えない壁があるのかなと感じました。
バニャルカの経済・生活・気になる治安は?
バニャルカは教育、行政、産業の中心地であり、多くの大学や研究機関が存在します。
また、ボスニア・ヘルツェゴビナで最も重要な経済拠点の一つでもあり、国際空港もあります。
失業率はボスニア・ヘルツェゴビナの国としての統計ですが2022年・BH統計局で14%ですが、市内にはショッピングセンター、レストラン、カフェなどが多く、公園で時間を過ごす家族やスポーツに勤しむ若者たちなどを見かけ、生活の質が高いと感じました。
街は綺麗でゴミなどは落ちておらず、ホームレスの方も見ませんでした。
人々も比較的マイペースで、想像していたよりはフレンドリー。
実は、この「The Travel紙の最もフレンドリーな11か国」にボスニア・ヘルツェゴビナがランクインしています♪
失業率が高めの割にはカフェやレストランは常に一定数ゲストがいて、どのように経済が回っているのか若干不思議に思ったほどです。
さらに、バニャルカから南に車で40分ほど走らせた場所で滝を見るため、クルパ・ナ・ヴルバス(Krupa)という村へ行ったのですが、この周辺の川辺や丘にプール付きの素敵な家がたくさん建っていて「この家(別荘?)の所有者、お金持ち?何者?!」と驚いてしまいました。
ボスニア・ヘルツェゴビナ🇧🇦第二の都市バニャルカから車を走らせ、Krupaと言う村まで行ってきた。
— はねうさぎドットコム (@haneusagi_com) June 25, 2024
ボスニアのイメージはとにかく滝!
ここには手付かずの大自然と美しい水があってとにかく癒される😍#ヨーロッパ旅行 #はねうさバルカンの旅2024 pic.twitter.com/ZHH7nk8dSb
また、治安に関しては、夜にセクシーなファッションで(どうやらセルビア系の女性はバッチリきめるファッションが好まれているようで市内にはオシャレした美女が沢山)女性だけで歩いている人を何人も見かけたので特に心配することは無いと思います。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、1995年に紛争が終結して以来、和平が定着し、紛争で破壊された経済・社会インフラも国際社会の支援もあって相当程度回復してきており、政治的にも民主主義体制確立のための改革が進められています。
外務省海外安全ホームページ
しかしながら、最新の調査では未だに国土の1.7%以上に約17.5万個の紛争時に埋設された地雷が残存しており除去作業は現在も継続しています。
これは私の勝手な想像ですが、スルプスカ共和国はバニャルカ以外にもトレビにエというボスニア・ヘルツェゴビナの南東に位置する街にも行ったのですが、住民がほぼセルビア系という単一民族、同宗教徒の地域なので社会的に共通の言語、文化、価値観を共有することが多いため、社会的な統合が進みやすく、地域内の緊張や衝突が少なくなるのではないかと感じました。
ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の街に泊まった時よりも、街全体から、何とも言えない安心感を感じたのです。
アイデンティティに共通点が多いと、より一層、国家(この場合は共和国ですが)に対して忠誠を感じ、社会全体の団結を促進、近隣の住民への信頼・信用度も保たれやすいので、それが行政の安定や治安の良さに繋がるのかもしれません。
もちろん、旅行中は、貴重品の扱いに気を付ける、物を席においたままトイレに行かない、怪しい人からは遠ざかる、現地のルールや文化をリスペストする、など最低限のことは気をつけましょう。
バニャルカの観光スポット:バニャルカ要塞(Kastel Fortress)
カステル要塞はボスニア・ヘルツェゴビナのバニャ・ルカで最も人気の観光スポットで、その歴史はローマ時代にまで遡ります。
当初はローマの砦として使用されていたことが考古学的発見から裏付けられています。
その後、要塞は時代と共にさまざまな支配者によって改築されてきました。
特にオスマン帝国の時代には重要な拠点とされ、その後もさまざまな用途で使用されています。
ただ、発掘や修繕などはあまり進んでいない様子で、15分ほど現地をウロウロと歩いて「へ~」っで終わってしまうかもしれません(汗)
私達が行った日はアーティストのコンサートが行われていて、少しだけリハーサルをお目にかかることができました♪
カステル要塞は、石造りの壁と銃眼が特徴で、その軍事的な過去を物語っていますので歴史好きな方もそうでない方も、バニャルカに行ったらまずはこの要塞に行ってみましょう。
中世からオスマン帝国時代を経て、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にも置かれたこの要塞は、ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史の中で重要な役割を果たしてきたといいます。
現在では、この要塞は、ボスニア・ヘルツェゴビナの国定史跡となっています。
また、要塞内には隠された井戸があり、その水は砂で自然にろ過されていたとされます。
カステル要塞はその戦略的な位置と歴史的な重要性から、バニャルカで特に注目される場所の一つです。
バニャルカの観光スポット:救世主ハリストス大聖堂(Cathedral of Christ the Saviour, Banja Luka)
バニャルカにあるセルビア正教会の聖三位一体教会は、1925年から1929年にかけて建設され、1939年に厳かに奉献された歴史を持ちます。
しかし、1941年のドイツ軍の爆撃で大きく損傷し、その後ウスタシャ(クロアチア独立国(NDH)を支配し、ナチス・ドイツとイタリアの支援を受けていた1941年から1945年まで存在したクロアチアのファシスト政党)によって完全に解体されました。
共産主義政府時代のユーゴスラビアでは多くの建物が再建されたものの、この大聖堂の再建は許可されませんでした。
共産主義は、表向きは宗教の自由を謳いながら、実は宗教の本質をゆがめ、認めなかったのですね。
この新しい教会は、キリスト救世主大聖堂として再建され、2004年に外壁工事が完了しました。
ですので、実際に見てみると、かなり新しい教会であることが分かります。
教会はメソポタミアのトラバーチン石で造られ、シベリアから運ばれた金色のステンレス鋼でドームが覆われています。
バニャルカの観光スポット:フェルハディヤモスク(Ferhadija Mosque)
バニャルカには、フェルハト・パシャ・モスク(Ferhat Pasha Mosque)という、16世紀のオスマン帝国時代のイスラム建築の代表的な例と言われるモスクがあります。
モスクはその美しい建築様式と装飾で知られており、特にその繊細な石彫りが注目されます。
このモスクは元々1579年に、名前の由来ともなっているフェルハド・パシャ・ソコロヴィッチによって建設されましたが、1993年にボスニア紛争中に破壊され、その後の長い再建プロセスを経て、2001年に再オープンしました。
このモスクは、ほとんどがセルビア系住民であるバニャルカやスルプスカ共和国内のイスラム文化の象徴として、またコミュニティの集会場としての役割も果たしています。
モスクの設計はおそらくミマール・シナンの弟子によるものと言われており、その建築スタイルは古典的なオスマンの影響を受けています。
建物は赤と黄色のトラバーチン石で作られており、内部には広い中庭があり、美しい噴水や複数の霊廟があります。
そして、フェルハド・パシャ自身の墓が設けられた霊廟があります。
フェルハト・パシャ・モスクは文化的にも重要で、ボスニア・ヘルツェゴビナの国定記念物に指定されています。
その価値ある建築と歴史的価値から、多くの訪問者や研究者の関心を引いています。
再建された現在も、フェルハディヤモスクはバニャ・ルカのスピリチュアルな中心地としての役割を果たし続けています。
開いている時間が午前8:30から11:30と短いので、行く場合には気を付けてください。
バニャルカの観光スポット:ヴルバス川温泉(Vrućica Srpske toplice)
私の中のボスニア・ヘルツェゴビナのイメージは美しい滝や川。
ですが、なんとローマ時代から現代に至るまで、現在のボスニア・ヘルツェゴビナ地方は、温泉と熱水で知られているそうです。
バニャルカのツーリストインフォメーションで教えていただいた「川沿いの天然温泉」があるという事でタクシーで行ってきました(バスも出ています)。
「毎日このツーリストインフォメーションで働いた後、その温泉にいってるの♪」と教えてくれたのは、なんと1984年のロサンゼルス五輪と1988年のソウル五輪に出場した、バスケットボールの(旧ユーゴスラビア)代表選手だったメダリストのSlađana Golićさん。
とても気さくで、日本でも親善試合でプレーしたことがあると言う彼女は、どう見ても60代には見えない若さだったので「この温泉に行くしかない!」と思ったのでした(笑)
Wikipediaに名前があるくらいですし「私はバニャルカ出身でこの町が大好きなの。時々ファンの方も来てくれるのよ」とのこと。
バニャルカ市よ・・・彼女を担当者として雇用するとは、なかなかの戦略。
バニャルカのツーリストインフォメーションに行ってみるのをお勧めします!
凄く長身だったので聞いてみたらビックリ!彼女と写真撮ってもらえばよかった~と後悔(ミーハー)(笑)
と、いう訳で、お天気はあいにく晴天という訳ではなく、気温も25度前後だったので、川では泳ぎませんでしたが、ゆる~~い温泉に浸かりました。
ツーリストインフォで教えてもらった無料の天然露天温泉♨️
— はねうさぎドットコム (@haneusagi_com) June 25, 2024
かなりぬるめだけど温泉の後は冷たい川へジャンプインできる😆#ヨーロッパ旅行 #はねうさバルカンの旅 #ボスニアヘルツェゴビナ pic.twitter.com/OnGonkG8H3
天然温泉ではありますが、日本人が思うような温泉ではなかったので(水着着用)少し期待外れではありましたが、現地人とたまたま車で旅しているというオランダ人カップルと和気あいあいとお話をしながらのんびりと過ごすことができました♪
更衣室とトイレがありましたが、壊れていたので、水着を事前に着ていくのをお勧めします。
もうBBAな私は現地生着替えでももう何とも思いませんが、若い方は特にタオルなどしっかり準備していきましょう!
このヴルバス川沿いにはビーチもあり、もうすこしバニャルカの街から離れた場所へ行くと、散歩道やカヤック、ラフティングなどのアウトドアアクティビティが楽しめます。
バニャルカの交通事情
バニャルカには鉄道はありませんが、バニャルカ国際空港を利用すれば、ドイツから直接ボスニア・ヘルツェゴビナに入国が可能ですし、他の国の都市へもフライトがあります。
とは言え、国内を飛行機で移動するのも現実的ではありません(そもそも国内線があるのかどうかも不明)。
市内および周辺地域や、首都のサラエボへのアクセスは、バスが主要な交通手段となっています。
バスターミナルは、市内中心部から少し離れているので、私たちはゲストハウスのホストにお願いして、事前にタクシーを呼んでもらい、タクシーでバスターミナルまで移動しました。
また、バスでは行けないバニャルカ近郊の場所へは、タクシー運転手と価格交渉してタクシーを使っていました。
バスターミナル行きの市バスも走っていますが、どこでも誰にでも英語が通じるわけでも無いですし、間違った路線に乗ってしまったり、予約していた長距離バスに乗り遅れるのも嫌だったので、タクシー移動が妥当だと思います。
ちなみに、Uberのようなタクシーアプリも普及しておらず、現地人は殆ど自家用車で移動しているのでバスの本数は少なめです。
バニャルカからほかの都市へ移動して観光したい場合には、余裕を持った旅行計画を立てる事をお勧めします。
実際、私は、ヤイツェという街に立ち寄るか一泊したかったのですが、はねうさ夫がバニャルカに2泊してクルパへ行きたいと言ったので、その計画にしました。もう少し日数があればヤイツェにも立ち寄れたと思うのですが・・・。
体力と気力次第ですが、例えば、ヤイツェは、バニャルカからサラエボ行きのバスに乗ると通過するので、もしバニャルカからサラエボのルートで旅行したい場合には、例えば早朝のバスに乗ってヤイツェで降りて、一番遅いバスでサラエボへ移動することもできると思います。
バニャルカのバスターミナルの場所はカステル要塞から5kmほど離れているので距離感には注意(以下地図参照)
ボスニア・ヘルツェゴビナ第二の都市バニャルカのまとめ
バニャルカはその豊かな歴史、文化、自然の美しさを誇る魅力的な都市です。
ハッキリ言って、はじめて「スルプスカ共和国」と言う名前を聞いた時は若干『うさんくさい・・・』と思ったものの、行ってみて好印象に変わりました。
特に大自然が好き、人込みが嫌い、変わった場所に旅行したい、ニッチな旅行体験がしたい、サラエボ以外のボスニア国内も行ってみたい、ディズニーランドみたいな作られた観光地にあまり惹かれないという方に特に訪れる価値のある場所だと思います。
鉄道は無いものの、バスや自動車によるアクセスが充実しており、観光やビジネスにおいても重要な拠点となっています。
ぜひ、この記事を見て「行ってみたい!」と思った方の次の旅の参考になれば幸いです。
バルカン好きな私は、過去にもいろいろな記事を書いていますのでぜひご覧くださいね♪
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