こんにちは!はねうさぎです。
ドイツに来て4年目に投入し、少しづつドイツの生活にも慣れてきましたし、ヨーロッパ人の物事の考え方なども日々実感するようになってきました。
通常であればこのブログでは、旅行やお料理、アートなど、私の好きな事をメインに書いたり、他の方にとって有益になりそうな情報を記事にしていますが、今回は少し真面目なお話をしようと思います。
それは言葉というものは興味深く、美しく、パワフルではあるけれども、時には人をも傷つける、人を落ち込ませるものであることを実感することがあったため、最近私が思う事を書こうと思います。
また、あくまでも私の感じたこと、自分の経験から「自分はこうなんだよね」という意見を書いていますので、反対意見や別の考え方を否定したり擁護したりというモノではありません。
私の子供は「ハーフ」じゃなくて「ダブル!」
話は、私がな~んにも知らない、若かりし頃・バカかりし頃の時代から始まります。
私は小さいころから「異文化」「外国」「異人種」と言うモノに興味がある人間でした。
小学校の頃の「なりたい職業」には、常に、「デザイナー」または「通訳者」が君臨しており、外国語を自由に操る人間に憧れを持っていました。
「デザイナー」と言うのはただ単に昔から絵を描くことが好きで、小学校から高校まで常に美術の授業は学年トップの成績(これ、成績なんでなんともね。。。美術と言う教科はテストで得点を得る方式でないので先生の主観も入る事でしょう)だったので、自然と「他人と勝負できる土俵はアートやデザインなのかな・・・?」という感覚がありました。
「でもこれだと世界で活躍できない(?!)そうだ、海外で活躍できるようなデザインの仕事をすればいいんじゃん?!」という何とも怖いもの知らずというか世間知らずと言うか・・・そんな野望を持っていました。
恋愛に関しては、日本人ともお付き合いしたことはあるのですが、20歳の時に友人を通じて知り合ったカナダ人の男性と交際していました。
ぶっちゃけ、当時の私は「若者・バカモノ」だったので、「英語の練習にもなるし、好みのマッチョスポーツマンタイプで背も高いから好き!」みたいな感じで、今思え返せば・・・ですが、彼の事はなんとなくひとりの人間としてではなく「おかざり」みたいに考えていたと思います。
彼は見た目はそんな雰囲気ではなかったのですが、ユダヤ人でしたので(本人も、ユダヤ人にしては珍しく母親が金髪ブルーアイズだと話してました)、世界には人種を理由にヘイトや差別、人を傷つける人たちが一定数いること、そして自分は何を信じているのか?という宗教的なことを考えるようになり、彼を通じて北米人の考え方や文化を広く浅く理解しました。
日本で何も考えずに生活していると、こういった事はほとんど考えるきっかけも無く、学校で教えてもくれず、友人も日本語を話す日本生まれ日本育ちの日本人とつるんでいた田舎育ちの私には、色々と考えさせられることもありましたし、彼のおかげで学んだことがたくさんありました。
同時期に、私は渋谷駅から青山学園大学へ15分程歩いたバーでアルバイトをしていたことがあります。
上司というかお店のオーナーはアメリカ人で、あの高級会員制クラブの「アメリカンクラブ」内のレストランでトップシェフをしていたという方でした。
お金を貯めていつか自分の小さなお店を持つことが夢だったという、その元上司。
アメリカンクラブを早期退職し、貯めたお金で自分のバーを開いたのです。
私はそのそのバーでバイトとして働いていたわけですが、その時のことや言われた言葉を今でもよく思い出し、彼を懐かしく思います・・・。
と、言うのは、彼はすでに亡くなっているんですね。
当時、彼には日本人の奥様がおり、三人のお子さんがいらっしゃいました。
彼はアメリカ人ですが、人種的には白人です。
彼がいつも言っていたのは「ハーフって何ですか?私の子供はハーフではない。ハーフって日本語で半分の事ですよ・・・私たちの子供は『半分』ではない、『ダブル』ではないですか?!」という事でした。
また、自分のことも決してアメリカ人とは言ってませんでしたね・・・私は地球人だと(笑)
その時の私は「なんてすごい考え方をする人がいるんだ~ぶっ飛んでるー(笑)」と思ったけど、色々と国際結婚や別人種間で子供をもうけた人たちの話を聞くうちに、この「ハーフ」という言葉について考えるようになりました。
自分もよく「ハーフ」だったり別の国籍者と間違えられることが多いので、あまり他人事とも思えないんですよね。
「ハーフ」はポジティブなのかネガティブな言葉なのか
私達が普段何気なく使っているこのハーフという言葉は、元をたどれば、日本人と〇〇人の「ハーフアンドハーフ」であると私は認識しています。
それが、短くなって「ハーフ」と言っているので、なんら問題ないのでは?使い方によるけど・・・そもそも論で、「いい意味」で使っている人もいることでしょう。
世の中にたくさんいる「ハーフタレント」や「ハーフモデル」さん達を見て、憧れる人が多くいると思うので、それによって作り上げられているイメージと言うのも一つの要因でしょう。
ただ、世の中には、混血であるが故の悩みや受けたいじめ等について語る人も多く、普段私達が何も考えずに発している言葉が誰かを傷つけている可能性もあります。
また、私は、アメリカに住んでいた時には、この「ハーフ」についてはあまり考えなくなりました。
何故なら、アメリカではほとんどのアメリカ国民が「混血」であり、たとえ白人であっても、「スウェーデンとアイルランドとイタリアとイギリスのルーツがあるんだ~」とか、アジア人であっても「日本人と中国人とマレー系オーストラリア人とのミックス」とか・・・、このような方はザラにいるので、もうあなたが人種的に何者であるか?ということはどうでもよくて、「アメリカ人なんだ」ということでおさまっていたりもするからです。
今はわかりませんが、当時はボストンと言えども、ある田舎街に行くとほとんどが白人社会でしたので、「話す感じ完全にアメリカ人だけど、見た目がアジア人だよね?どういうルーツなの?」と質問されていた台湾系アメリカ人の元彼は、「あー来たよ、またこの質問、まあいーんだけどね・・・え~っと~~~~で~~」ときちんと答えてましたね。
私は、友達と話すときには「ハーフ」という言葉を使う時もありますが、できるだけ、お父さんがどこどこの人でね~・・・と、言う感じで説明する事が多いです。
ドイツにも同じ問題があった!「私はミッシュリングという言葉が大嫌い!」
混血である人の悩みは、家庭の事情や時代背景、育った国や教育によって差はあるとは思いますが、実はドイツにもありました。
波乱万丈人生を生きてきた日本人の友人がいるのですが、彼女はヨーロッパでの生活が30年以上あり、人生の大・大先輩であり、いつも楽しい方で、仲良くさせていただいています。
先日、彼女と娘さんが我が家に遊びに来たのですが、その時に「働いている会社にいるベトナム系ドイツ人の同僚に対する会社の対応が許せない!」という話になりました。
その流れで、「そもそもさあ~~~、私、ミッシュリング(またはミッシュリンゲ)Mischling, plural: Mischlingeって言う言葉、大っ嫌い!!」と、熱く語り始めました。
Wikipediaはこちらから(日本語なし)。
ミッシュリングとは、もともとナチスドイツ時代に使われ始めた言葉で、ユダヤ系とアーリア人系(白人)の混血を意味しています。
ドイツ人でも、高齢の方、一定の世代以上の方はいまだにこの単語を「ハイブリッド」、「雑種」、または「混血の子供(人間)」という意味で使う人も多く、悪気が無くともこの言葉しか知らない、他の言葉が無いなどの理由で、現在も普通に使用している人は多いです。(特に高齢者世代)
しかし、いわゆるミックスの娘さんからすると「ミシュリンゲって、犬とか猫とかに使う言葉であって、人間に使う言葉ではない!すっごく失礼だし、嫌な気分になる!」との事でした。
なるほど~~~。
こういうのをぶっちゃけてくれる人とお話しすると、勉強になります。
それ以来、私は「このMischlingeという言葉は絶対に使ってはいけない」と心に決めました。
ドイツ人の友人に確認したところ、現在のドイツでは、この単語にはポジティブな意味はなく、失礼すぎる、との事でした。
意味を知り、嫌がっている人もその理由がわかってまで、わざわざ使用する言葉ではないなと思った次第です。
マスク着用義務に賛否両論!翻弄されるドイツ人達
実は、コロナ禍になってから社会的な大問題?になっていることがあります。
それは「マスク反対派」と「マスク擁護派(またはマスク崇拝派)の対立です。
これには、実は私も騒動に巻き込まれている一人なのですが、私のドイツの家族がマスクのことを「Maulkorb(マウルコーブ)」と言っていて、始めの頃は、「マスクのニックネーム的な感じで言ってるのかな?なんでマスクと言わずにこの言葉を使っているのだろう?でも、まあ、スラングみたいなもんか?」と思っていました。
Maul(マウル)とは口の事を意味し、普段でもこのマスクとは関係なく、スラングとして使う男性もいたりして、特に何とも思わなかったのですが、そもそもこのマウルというドイツ語は、「動物の口」「言葉の悪い失礼な口」「魚の口」を意味し、一般的には人間に対しては使いません。
Korb(コーブ)は、ドイツ語で「かご」「バスケット」を意味し、自転車につけるカゴを「fahrradkorb」と言ったりします。
先日、ドイツに来て初めてできたドイツ人の友人の家に「ガールズナイト」でお泊り会に行ってきました。
彼女は医者なので、夜勤もアリ、いつも忙しくしている人なので、なかなか会えないのが残念ですが、3か月ぶりに会って「最近どう?」と近況報告していた時に、「日本ではコロナの状況とか人々の生活はどんな感じ?家族は大丈夫?」と聞かれました。
そのコロナの話をしていた時に、彼女が「あまりいい話じゃないんだけど、今日あった事だからちょっと話すと・・・」と、彼女の「マスク反対派」の友人が、ほぼ毎日大量のURLリンクをWhatsappで送りつけてくるという話になりました。怖
彼女がそのまま続けます・・・「正直、私は毎日の仕事だけでもうクタクタ、病院に来る患者さんの中には病気のせいで仕事や住む場所を失って、退院しても行く場所がない人たちが沢山いる、世の中には本当に困っていて本当に病気の人がたくさんいる。マスクの論議している人って一体何なの?!仕事も住む場所も食べ物もあるじゃない・・・ラグジュアリープロブレムだよ!」と怒り出しました。
「だからね、私は彼女に、私たちの意見は違うから、もうリンク送ってこないで!と返信したんだ」・・・と。
「最近ネットやSNSに行くと、あれMaulkorb、それMaulkorb・・・と、Maulkorbだらけ!そもそもMaulkorbしてたら話すことすらできないじゃない!なんなのMaulkorbって!私はこの言葉が大嫌い!」
何となくなんですが、私は何かを感じ取りました・・・彼女は仕事柄、終日マスクをしていなければいけません。
自分が嫌だとかそんなこと言ってたらはっきり言って医師として失格でしょう。
その「仕事に使う道具の一つ」を侮辱されているような気持ちになっているのではないかなあと思ったのです。
また、ドイツではなんとなくマスクを馬鹿にしているような風潮(や人)があるのも事実で、考えすぎかもしれませんが、「マスク=アジア人がしてるイメージ=俺たちそんつけたくない!」っていう潜在意識もあるのではないか・・・?つまりアジア人の自分にとっては若干差別意識が根底にあるのではないか?とも考えているのです。
そして、怒りが収まった医師の友人は、こんなご時世なので、来院する患者さんや症状によって、医師は何種類ものマスクを使い分けるという話をし始めました。
きちんと、こんな種類のマスクにはこんな効果があり、こういうマスクにはこういう効果はない・・・とも説明までしてくれました。
「私ははっきり言って、コロナウイスルは怖くない。一番怖いのは人間だよ。人生は短いんだから、マスクの論議してる時間があるなら、私はもっと自分にとって楽しくて有意義なことをしたい。そもそも何が問題なの!?マスクなんてタダの1枚の布切れじゃない!!」
そうか・・・そうだよなあ。
彼女の思いや意見はほとんど私と一緒だったので(だからお友達!?(笑))、「私もそう思うし、これからはそうしていこう。」と思いました。
もちろん、反マスク派の意見もよく耳にしますから、「お上が国民に何かを指示するのは人間としての自由がが奪われつつある!東ドイツ時代の社会主義と一緒だ!これは政治家のプロパガンダだ!」という意見も・・・まあ百歩譲って言いたいことはわかるのです。
が!
家に帰り、友人が言った「そもそもMaulkorbつけてたら話す事さえできないじゃない!」という言葉が気になり、「Maulkorb」をインターネット検索に入れて、「画像検索」のボタンを押してみました・・・。
すると、表示された画像の全部は、「犬のしつけ用の口輪(ムゼル)」でした。
私は一瞬息が止まってしまって、自分の浅はかさというか無知さ、知らずにこの言葉を使っていた自分に怒りが湧き、愕然としました。
「この言葉は絶対に絶対に使ってはいけない!」
たとえ家族が使おうとも、私は絶対に使わない!と心に決めました。
この言葉は、このご時世に頑張っている医療従事者や関係者に全く敬意の無い言葉であると思います。
「ガイジン」?それとも「Ausländer(ドイツ語:外国人)」?
最後にもうひとつ。
私は「ガイジン」という言葉を日本国籍者以外の人間に(本人の承諾なしに)使ってはいけないと思っています。
理由は過去に色々とありますが、やはり色々な方からこの言葉はちょっと・・・というのを聞いたことが一番の理由です。
もちろん、外国の方が自分を「私ガイジンダカラ・・・」とか、「GaijinXXX~」などと言ってアイコニックにユーモアを取り入れながら使う分には問題ないと思うのですが、やはり日本人から指さされて「ガイジーン!」とか言われるのってイヤだと思うんです。
外国の方が日本に来て、日本語を学び、「外人」という漢字を理解した時の衝撃ったらないでしょうね。
ちなみに、これも「ハーフ」の話と一緒で、「外国人」という言葉が短くなりなぜか「外人」になったと思われます。
外人って、そのまんま文字をとらえると、「外の人」ですよね・・・やはり敬意がないというか・・・まあ、「ガイジンガイジン」と差別的に使う人もいたりするのかもしれませんが・・・悲しい事です。
ちなみに、ドイツ語にも全く同じ「Ausländer」という言葉があります。
正直言って、ドイツ語を習った時に、この言葉を聞いて少しショックでした。
「Ausländer」って・・・?!もろ、ドイツ以外の国出身者!という直球の単語です。
直感で、この単語は「ドイツ人以外は、よそ者ってことかあ~~~・・・・」となぜか落ち込んだのを思い出します。
とは言え、これ以外の言葉が殆どありませんし、私ももう開き直って、外国人登録証カードの事を「ガイジンカード」と呼んで「外国人」であることを楽しんでいます?!w
※このブログでもドイツの滞在許可証(Aufenthaltserlaubnis)の事を、フレンドリーな意味を込めて「ガイジンカード」と書いています(笑)
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これからの世界の動向に注目…でも最後は「人を思いやり自分をしっかりと持つ事が大切」
今回は、少しだけ最近自分が思う事をつらつらと書いてみました。
マスクの話は、ぶっちゃけドイツが真っ二つに割れています(反マスク派はどちらかというと少数派ですが)・・・デモも起こったりしていますし、私は友人が言ったように「他にやるべきことがあるんじゃないの?」と感じています。
そして、こんな世の中だからこそ、人間みなが協力して思いやりを持った世の中になればいいなあ(と他人事の様ですが)と願っています。
そして、日本語には「ことだま」という言葉があるように、言葉の持つパワー、ポジティブになれる事を考え発信していきたいと改めて思いました。
長くなりましたが、ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。
また、旅行などの楽しい記事を書いていきたいと思います!
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