こんにちは!はねうさぎ(@haneusagi_com)です。
数年前、日本の終戦記念日に関連したテレビ番組で、渋谷で「第二次世界大戦で日本はどの国と戦ったか?」と質問され、多くの人が答えられなかったことに驚きました。
これは一部の若者の「びっくり回答」かもしれませんが、戦争に関する知識が不十分な人がいるのは事実でしょう。
むしろ「ネタ」であって欲しいと思ってしまうBBAです….
対照的に、現在私が住むドイツでは、第二次世界大戦についての話題(またはその他の歴史的な話題)が非常に一般的と言えます。
教育制度の違いなのか、日本では会話のトピックとして取り上げていいのかどうか・・・と悩むようなことでも、ドイツでは友達など集まった場でも、大戦中、大戦後、近年・・・という風に戦争話題がよく交わされ、特に年配の方々には興味深い話題のようです。
私が個人的に思うには、ドイツ人は結構戦争の話やエピソードを話すのがお好きな様子。
ドイツの色々な町に行っても「第二次大戦により、街のXX%が破壊されました」、「第二次大戦で破壊されましたがアーカイブにより破壊前の姿にリノベーションされました」などのパネルはよく見かけるので、ドイツの方々は、自然にその歴史に興味を持つのかもしれません。
私と夫の祖父は両者とも第二次世界大戦で戦った
私とはねうさ夫が結婚前に仲良くなった要因の一つに「お互いの祖父の戦争体験エピソード」があります。
例えば、私の祖父はフィリピンや台湾へ、はねうさ夫の祖父は旧ソ連の前線へ・・・というように、お互いの祖父は戦争に行き、帰還しています。
ですので、自分の家族から戦争中、戦後の体験談を耳にする機会もあったため、そこから知識を得た事も歴史に興味を持つきっかけになっていると感じます。
すごいのは、はねうさ夫の祖父は90歳過ぎてもまだ元気で(残念ながら2018年に他界)、たまに様子をうかがいに会いに行くと、彼が若かったころの写真を見せてくれたり、入隊した時の写真を見せてくれたりするのです。
おじいさん(Opa)のお葬式に関する記事は以下をご参照ください。
写真を収めているアルバムはアルミ製のカバーに彫刻がされており、まるで特注のようなデザインです。
「このアルバムは買ったの?」と聞いてみると、「大戦後に近所に墜落していたアメリカ軍の戦闘機の比翼を切り取って持って帰ってきて自分で加工して作ったのさっ」とのこと!!(苦笑)
義理祖父は、終戦後はある機械メーカーのチーフエンジニアとして働いていたそうで、マイスター資格を持っていた事もあり、家具なども美しく作ることができるほどのスキルを持っていたそうです。
実は、義理祖父の影響もあって、はねうさ夫も19歳の時にドイツ軍に入隊しました。(2011年7月4日、ドイツは正式に徴兵制の「中止」を発表しました)
はねうさ夫曰く、若干憧れの職業でもあったらしいです(驚!)
家族の影響というのは強いものなんですね~。
はねうさ夫の父親がドイツ軍に入隊しなかったこともあり、義理祖父からの期待値がかなり高かったようで「はねうさ夫がドイツ軍に入隊しないのであれば、うちの敷居をまたぐことは許さない!」とまで言っていたらしいです…(((;゚Д゚))
ただ、はねうさ夫は入隊後の仕事内容(戦地などで戦車や車などが通るための橋をつくる部隊に居たらしい)に関して「つまらなかった。嫌いだった」と言っているので、あくまでも憧れに過ぎなかったという事のようです。
「僕がアフガニスタンとかに行って無くて良かったでしょ?!」とか私に聞いてくるのやめて欲しい・・・。
食事会の会話でもよく登場する戦争戦後・歴史の話
そんなこんなもあって、はねうさ夫(+はねうさ義理祖父+はねうさ義理父)は戦争や歴史トピックスが大好き!
戦闘機、潜水艦、ヘリコプターや機関銃の名前、型番は一目見たら言うことができるし、戦争に関する本もたくさん家にあるし、もちろん戦争映画も大好きな様子。
近所にヘリコプターが飛んでいると「あれはXX型XXの緊急救助用のヘリコプターで・・・」とウンチクが始まる始末。
マジで勘弁してほしい~~
あまりマニアックな話になると超つまらないので、あえて「つまらない」ことをアピールするのですが、彼らは大好きなネタを話しているのでもっと話したくてしょうがないようです(笑)
先日は、はねうさ夫とディナーしながら、旧日本兵の「小野田さん」という方の話になりました。
はねうさ夫が小野田さんの名前やストーリーを知っていて、それを夢中で話し始めました。
私も名前までは覚えていなかったものの、戦後何十年か経った後にフィリピンに潜伏していた日本兵が帰国したニュースは知っていたので、小野田さんの話で盛り上がってしまいました。
彼の名前は「小野田寛郎」さん。情報将校として太平洋戦争に従軍し、ゲリラ戦を展開した旧日本兵で、第二次世界大戦終結から29年後に、フィリピンのルバング島から日本へ帰還を果たした方です。
終戦のニュースは、アメリカ軍の「ヤラセ」だと信じ込んでおり、長い間ジャングルの中の洞窟などで任務遂行の指令を待っていたというハードコアな方。
2014年1月に91歳で亡くなっており、彼が亡くなった時は、ドイツでもニュースになったらしいです。
小野田さん以外にも何人か終戦後長い年月が経ってから日本に帰国した日本兵の方はいらっしゃるのですが、ドイツではそういう人はいなかったのか?と聞いてみると「聞いたことが無い。一人だけ、ロシアの極東まで歩いて逃げて、終戦を知らずにイランまでたどり着き、保護された人ならいるよ。僕が小さいころ話題になった」とのこと。
ドイツ人から見ると、日本人の小野田さんのような人柄(お国柄)は、とても辛抱強く意思を持っていて律儀で、忠誠心があり、国同士のパートナーとしては最適なのだとか。
はねうさ夫曰く「僕の祖母が生きていたころに彼女が良く言ってたよ。ドイツの南にイタリアじゃなくて日本があったら、私たちは絶対戦争に勝ってたってね」
おばあさんまで戦争の話がお好きだったようで・・・苦笑
「日独伊三国同盟」を歴史の授業で習ったと思いますが、イタリア数年早い段階で無条件降伏しており、そこがドイツ人から見ると逃げ腰と考える人もいるようです…
アメリカンナイズされた日本、古き良き伝統を守るドイツ
私はアメリカに住んでいた経験があり、アメリカの良いところもたくさんあると思っていますが、ドイツ(南ドイツ?)でのアメリカ批判には時々戸惑います。
特に、アメリカの文化・食文化や政治に対する批判が多く、その違いに驚いています。
言っていることは理解できるし、納得するところもあるのですが、頭ごなしに決めつけている(まずはアメリカの良いところを知ろうともしていないので)部分もあると思うので、悲しくなる時もあります。
例えば、私は「ニューワールド」系のワインが結構好きなので、チリワインやカルフォルニアワイン、ニュージーワンドワイン等の話を義理母にすると「カリフォルニアワインなんか~~!!」と始まってしまいます。
チリワインはベタ褒めなのに、何が違うの?って思っちゃいます。
カリフォルニアワインもピンからキリまでありますし、歴史のあるワイナリーもあります。
ボストンにいたころは、ニューヨーク(州)ワインなど生産量が少ないけれどいいワインを安価で入手することもできたので、アメリカ国内の良いワインはあまり輸出されていないのが現状だと思うんですよね。
だから頭ごなしに「アメリカワインなんか」と言うのはちょっと違うかなと思っています。
勿論、義理両親には言えませんが!w
また、10月を代表するイベントのハロウィーンですが、あるドイツ人と話していて「ハロウィーンってアメリカのカーニバルでしょ。僕が小さい頃はハロウィーンなんかなかった」という話題になりました。
アメリカから来たイベントに踊らされている(?!)のが、あまりお気に召さない様子。
ドイツでは11月1日に「Allerheiligen」というカトリックの祝日があり、私はこの11月1日のカトリックのイベントと、アイルランドにおけるケルト民族の土着の収穫祭的なイベントが組み合わさってハロウィーンが誕生したと聞いたことがあり(諸説色々あります)、「ハロウィーンはもともとの起源はヨーロッパと聞いているけど?」とルーツについて話すと、驚いていました。
日本とドイツのアメリカの影響の違い
日本は戦後、アメリカの影響を強く受けており、アメリカの文化や経済モデルが日常生活に深く根付いています。
対照的に、ドイツではアメリカの影響を受けつつも、自国の伝統や文化を大切にする傾向が強いと感じます。
私自身、日本とドイツで生活した経験から、この違いを実感しています。
恐らく、第二次大戦後、ポツタム協定により、ドイツは米・英・仏・ソの四国によって分割占領され共同管理下に置かれた「連合軍軍政期」の歴史が影響しているのではないかと個人的には思っています。
私の住む南ドイツはアメリカの分割占領管理下にありました。
アメリカ文化の影響を受けた日本の現代生活
日本では、アメリカの映画や音楽、ファッションが広く受け入れられており、ファストフードやアメリカンスタイルのショッピングモールなどがかなり普及しています。
一方、ドイツではアメリカ文化の影響を受けつつも、地域の伝統や文化が重視されており、良い意味でも悪い意味でもユニークな独自路線を貫いている印象です。
もちろん、ドイツも広いので地域差はあるかもしれません。
例えばですが、日本ではどこにでもあるスターバックスですが、ドイツの中小規模の街に行っても無しですし、配車サービスのUberもありません。
ドイツの伝統とアメリカ文化のバランス
ドイツでは、アメリカ文化の影響を受けながらも、自国の伝統や歴史を守る姿勢が強いと感じます。
伝統的な古き良きドイツの祭りやヨーロッパ的な食文化が大切にされ、アメリカの影響があっても変わらずに独自の発展を遂げているように感じます。
このバランスの取り方が、日本との違いを際立たせていると思います。
歴史教育:日本とドイツのアプローチの違い
アメリカの影響を受ける中で、日本とドイツの歴史教育には明らかな違いがあります。
日本では敗戦に関して、特に原爆被害、空襲被害などの視点が強い一方で、ドイツではホロコーストの歴史も含めて戦争に至った前後の歴史について深く学び、不の歴史を繰り返さないとする徹底して一貫した姿勢が見られます。
どちらかというと、ドイツの場合は第二次世界大戦そのものと言うよりは、ナチスドイツのイデオロギーや時代背景、その仕組みを知る事に焦点を当てている場合が多いです。
日本の場合には、例えばアメリカから非難されている真珠湾攻撃の内容はサラッと学び、本やアニメで戦争の悲惨さを体験ベースで学ぶことが多いと感じますが(私の時代は)、ドイツの場合はヒトラーから敗戦までの内容を徹底的に教育されます。
この教育に関しては、ドイツ人の中でも賛否両論がありますが、私もオリエンテーリングコースで生徒が泣くまで勉強させられました。
戦争の記憶を後世に伝える重要性
戦争の記憶を後世に伝えることは、未来の平和を維持するために不可欠です。
私は、広島の原爆資料館に行き、語り部の方から直接被爆体験のお話を聞きましたし、ハワイのパールハーバー戦艦ミズーリ記念館にも足を運んだこともあります。
その時の訪問者は日本人私一人で、かなりのアウェイ感がありましたが、知ることは大事です!
そして、戦争を繰り返さないためにも、周囲の人と歴史的なトピックを話することも重要なことだと思います。
やはり、経験談はパワーがありますからね。
そういう意味では、ポジティブな事だけでなく、悲しくネガティブな暗い過去もオープンにするドイツ文化には、色々と考えさせられます。
また、ドイツ人はアーカイブ好き?というか、日本同様に空襲に合って破壊された町や建物などを再建する能力は本当にすごいと思います。
以前この記事で書いた、ドレスデンのオペラハウスや、聖母教会を始め、ドイツのあらゆる市町村にそのような設計図、写真、調達記録などのアーカイブがあり、それをもとに再建したり、博物館として展示しているのはとても勉強になります。
博物館や記念館は、歴史の教訓を学び、戦争の悲劇を忘れずに伝える重要な役割を果たしていますよね。
私自身、ドイツ国内で、いくつかの戦争に関する博物館や記念館を訪れ、その重要性を深く実感したので、ここに少しだけご紹介します。
1. ニュルンベルクのナチ党全国大会ドキュメントセンター(Dokumentationszentrum Reichsparteitagsgelände)
ニュルンベルクは、ナチス政権を握っていたアドルフ・ヒトラーお気に入りの街だったと言われ、1933年から1938年まで、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)は、ニュルンベルクで帝国党大会を開催していました。
ニュルンベルクに位置するこの帝国党大会会場文書センター博物館は、ナチスの党の歴史とその影響に関する展示が行われており、ドクセンター(ドキュメントセンター)と呼ばれています。
ナチスの政権や戦争のプロパガンダ、政治的背景に焦点を当てた資料や展示が豊富です。
私は日本から家族が来た時に、こちらへ行きたいとリクエストがあり、日本語の公式ガイドさんにお願いして一緒に回っていただきましたが、その日はアメリカ人の観光客の方も多く、歴史に興味がある方におすすめの博物館です。
2025年末までの改修工事期間中で、この場所とナチ党集会の歴史を包括的に紹介する中間展示が行われる予定です。
詳しくは、帝国党大会会場文書センター公式ホームページをご覧ください。
2. ベルリンのドイツ歴史博物館(Deutsches Historisches Museum)
ドイツ歴史博物館は、ベルリンにあるドイツの歴史を専門とする博物館で、「ドイツ人とヨーロッパ人の共通の歴史を啓発し理解する」場所です。
この博物館では、ドイツの歴史全般がカバーされており、ナチス時代や第二次世界大戦に関する展示もあります。
先の大戦だけでなく、ドイツの歴史をカバーしており、膨大な展示量ですが、戦争の原因や社会的影響について学ぶことができます。
詳しくは、ドイツ歴史博物館公式ホームページをご覧ください。
3. ミュンヘンのナチス党ドキュメントセンター博物館(NS-Dokumentationszentrum München)
ミュンヘンにあるこの博物館では、第一次世界大戦と第二次世界大戦中のミュンヘンの歴史をテーマにし、常設展示と臨時展示があります。
社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が1920年に結成されたのがミュンヘンでした。そして1933年には、アドルフ・ヒトラーを「指導者」とするナチスが政権を掌握しました。
ちなみに「NS」というのはナチスドイツ(Nationalsozialistischer Staat)の頭文字をとったものです。
このドキュメントセンターでは、展示、イベント、ワークショップ、ツアーなどを通じ、ナチスの歴史に向き合う場所として、特にナチズムのイデオロギーの起源に注力した展示を行っています。
詳しくは、ミュンヘンナチス党ドキュメントセンター公式ホームページをご覧ください。
4. ハンブルクの聖ニコライ記念館(St. Nikolai Memorial)
セントニコライ教会は、もともと19世紀に建てられたネオゴシック様式の教会で、第二次世界大戦中の空襲で大きな被害を受けました。
1943年のハンブルク空襲で破壊され、その後の修復は行われず、戦争の傷跡をそのまま残す形で保存されています。
この教会の塔は戦争の象徴として残され、戦争の悲劇を後世に伝える役割を果たしています。
教会の地下部分には「聖ニコライ戦争記念館(St. Nikolai Memorial)」が設けられており、戦争に関する多くの展示が行われています。
詳しくは、聖ニコライ記念館公式ホームページをご覧ください。
5. ケルン市ナチス記録センター(NS-Dokumentationszentrum der Stadt Köln)
ケルン市にあるこのナチス記録センターでは、ケルンの歴史全般とともに、戦争の影響についての展示が行われています。
ナチス時代の秘密国家警察であった旧ゲシュタポの本部の建物が博物館となっています。
ナチス時代の犠牲者を追悼するための場所としても役割も果たしていて、沢山の展示はもちろんの事、地下にある監房などを見学できます。
都市が戦争によってどのように変化したかを学ぶことができます。
詳しくは、ケルン市ナチス記録センター公式ホームページをご覧ください。
6. ドレスデンの戦争記念博物館(Stadtmuseum Dresden)
ドイツ連邦軍軍事史博物館(MHM)は、ドレスデンのアルベルトシュタット地区に位置するヨーロッパ最大級の軍事史博物館で、ヨーロッパで最も重要な歴史博物館の一つです。
1873年に設立された兵器庫を起源とし、1914年からザクセン王国軍博物館として使用されました。
1940年からは陸軍博物館として開館し、戦後は赤軍に収蔵品を押収され解体されましたが、1961年に再開館され、1990年にはドイツ連邦国防省が引き継ぎました。
2001年からダニエル・リベスキンドの設計で改築が始まり、2011年に新たに開館。
展示は旧館が年代順、新館がテーマ別で、暴力や文化史に焦点を当てています。
この博物館では、近代の戦争の展示をメインとしており、第二次世界大戦でのドレスデンの破壊と復興に関する展示、特に1945年の空襲とその影響に焦点を当てています。
屋上には展望台もり、ドレスデンの街を一望できます。
詳しくは、ドイツ連邦軍事史博物館公式ホームページをご覧ください。
さいごに
歴史ネタ好きなドイツ人。
日本人にとっては、戦争の事や紛争に関する時事トピックをどこまで何を話したらOKで、何を話したらタブーなのか微妙に理解に苦しむところはありますが、同じ敗戦国として、近年の歴史や過去の同盟国との関係などの知識があると、ドイツ人と話が弾むと思います。
特に男性は戦車や潜水艦のタイプ・ナンバーなど詳しい方も多いので、ビールを飲みながら話が弾みそうです(苦笑)
ドイツ人は、自分と相手の意見が合わなくても嫌いになったり友達関係が終わったりはしないようなのですが(一概には言えないと思うのでそこは自己責任でお願いします)、ドイツ人のほとんどは、ドイツと日本が同盟国で、第二次大戦ではお互いに敗戦したということを知っているので、ドイツ人から「戦争に関してどう思うか?」「日本人はアメリカに対してどう思っているのか?」などの質問を直球で受けることもあります。
こういった内容をドイツ人と対等に話すには、私ももう少し勉強が必要だなあと思う今日この頃です。
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