トレビニエの魅力を体験!歴史と自然が織りなす絶景体験の旅

こんにちは!はねうさぎ(@haneusagi_com)です。

バニャルカから始まったボスニア・ヘルツェゴビナの旅の最後を飾るのはトレビニエです。

ボスニア・ヘルツェゴビナのトレビニエは、クロアチアの人気観光地ドブロブニクから車で約45分の距離にあります。

世界遺産に登録されているドブロブニクの旧市街地は確かに美しいけど、観光地化され過ぎている感もあります。

観光客でごった返している場所ではなく、ゆったりとした雰囲気が漂うトレビニエは、美味しい料理と自然の美しさが魅力です。

私たちが行った時にはほとんど観光客がいなく、静かでのんびりとした時間を過ごすには最適な場所でした。

超観光地があまり好きでない方にこそ、美しい街トレビニエのおススメ観光スポットをご紹介します!

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ボスニア・ヘルツェゴビナの「ヘルツェゴビナ」とは?

美しい雄大な自然を満喫できるヘルツェゴビナ地域 ©haneusagi.com

ちなみに、皆さんは、ボスニア・ヘルツェゴビナの「ヘルツェゴビナ」って何だろう?と思ったことはありませんか?

実は私もボスニア・ヘルツェゴビナへ旅行するまで詳しくは理解していませんでした。

なんと言っても国名が、ボスニア「と」ヘルツェゴビナですからね!

ボスニア・ヘルツェゴビナの「ヘルツェゴビナ」とは、国の南部にある歴史的な地域を指します。

この地域の中心都市はモスタルで、観光地として有名です。

世界遺産の街モスタルに関しては、別の記事「モスタル1泊2日旅行ガイド!レストラン・写真スポット・Blagaj日帰り旅行」を読んでみてくださいね。

名前の由来は15世紀のスルタン、スチェパン・ヴクチッチの称号「聖サヴァ公」にちなんでおり、これはドイツ語の「ヘルツォーク(公)」に由来しています。

この地域は、スラヴ人が6世紀末から定住し、その後セルビアの影響を受けました。

14世紀にはボスニア王国に組み込まれ、1483年にはオスマン帝国の支配下に入り、19世紀にはキリスト教徒とムスリム地主との間で反乱が相次ぎました。

1878年のベルリン会議でオーストリア・ハンガリー帝国の支配が認められ、1908年には正式に併合されました。

ヘルツェゴビナ地域は、民族構成にはボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人が含まれ、地域的には山地と丘陵地が多く、乾燥した気候が特徴です。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、地理的にも文化的にも異なる「ヘルツェゴビナ」と「ボスニア」の2つの地域が統合された国です。

ヘルツェゴビナ地域はオスマン帝国の影響が強く、トルコ風の建築や料理が見られます。

一方で、ボスニア地方は北部と中央部に広がっており、サラエボなどの主要都市があります。

知れば知るほど、めちゃくちゃ複雑な国だわ….

1908年にオーストリア=ハンガリー帝国に併合されたヘルツェゴビナは、第一次世界大戦後にユーゴスラビア王国の一部となり、第二次世界大戦中はナチス・ドイツに占領されました。

戦後はユーゴスラビア社会主義連邦共和国として再統合され、1990年代初頭にユーゴスラビアの解体によりボスニア・ヘルツェゴビナとして独立しました。

内戦を経て、現在のボスニア・ヘルツェゴビナ(ボスニア・アンド・ヘルツェゴビナ)として位置づけられています。

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